准后造句
例句与造句
- 法身院(ほっしんいん)准后とも呼ばれる。
- 1490年(延徳2年)7月5日、准后宣下。
- 年月日不詳、准后(准三宮)宣下。
- 園城寺長吏、准后、四天王寺別当等を歴任した。
- 醍醐寺中興の祖として、桃山時代の義演准后と並ぶ。
- 用准后造句挺难的,这是一个万能造句的方法
- 満済准后:「黒衣の宰相」。
- 准后宣下は主に次第に内親王及び女王も対象となった。
- 京都御苑 石薬師御門内、准后里御殿を仮校舎とした。
- 延徳元年(1489年)准后の宣下を受け、その後すぐ出家した。
- 西園寺実氏の長女で、母は四条隆衡の娘?四条貞子(北山准后)。
- また、准后に叙せられた人臣に対してもこれに準じた待遇が与えられた。
- 太皇太后?皇太后?皇后に準じる位=准后(じゅごう))の宣旨を蒙った。
- 准后(じゅごう)とは、太皇太后、皇太后、皇后の三后に准じた貴族の称号。
- しかし、准后とは后に准ずるという意であり、性別に関わらず貴人に授けられた。
- 同役の大准后使饗応役は以前から仲が悪かった大和国柳本藩藩主の織田秀親であった。
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